ビットコインの歴史はサトシ・ナカモトの論文から始まりました。しかし、その論文を実際に信じて、現実に作り上げてきた人々をご存知でしょうか。
ビットコインの歴史はサトシ・ナカモトからはじまり、多くのキーマンが関わってが作り上げられたものなのです。
目次
サトシ・ナカモトからはじまったビットコインの歴史
ビットコインの概念が初めて登場したのは、2008年のこと。
「サトシ・ナカモト」と名乗る正体不明の人物が、メーリングリストに論文を投稿したのが始まりでした。
彼はこの論文の中で、ブロックチェーンという画期的な技術とそれを利用したビットコインという暗号資産(仮想通貨)を提唱しました。
そしてその構想に魅了された人々によって、ビットコインは少しずつ進歩していきました。しかし2011年、ユーザーがアップデートや改良を加えることのできるオープンソース・ソフトウェアを残してサトシ・ナカモトは姿を消しました。
それから5年後の2016年の時点で、ソースコードでサトシが書いたままのものはわずか15%だったといいます。
つまり、考案者であることは間違いないのですが、ビットコインはサトシ・ナカモトがひとりで築いたものではなく、彼の構想や理念に賛同する人々によって作り上げてきたものなのです。
今回はビットコインの草創期の成長に携わった重要人物たちを紹介しながら、その歴史を紐解いていきます。
1分で読めるビットコイン初期の歴史
ビットコインの歴史の始まり
ビットコインの概念が初めて登場したのは、2008年。サトシナカモトと名乗る正体不明の人物が、技術者系コミュニティのメーリングリストに論文を投稿したのが始まりでした。
開発の始まり
そのメールにハル・フィニーが興味をもち一番最初のビットコインユーザーになります。
その後、当時大学生だったマルッティ・マルミも同じようにビットコインのコンセプトに惹かれ開発への協力を名乗り出ます。
元々著名な開発者だったギャビン・アンドレセンがこれに遅れて参加をしました。
彼の参加からビットコインの開発が本格的に進んでいきます。
闇サイトから始まった人気
ビットコインの人気は闇サイトでの利用から火がつきました。
ロス・ウルブヒトが運営する、麻薬売買の闇サイト「シルクロード」でビットコインは取引通貨として利用されていました。
これがビットコインの初期の発展に大きな役割を果たしました。
ビットコインを支える熱狂的な人たち
その後、実業家であるロジャー・バーが2011年にビットコインと出会います。彼がすぐに大量のコインを購入したことで価格が急上昇しました。
同じ2011年にビットコインと出会ったのがウェンセス・カサレスです。彼はアルゼンチン出身の起業家でいくつものテクノロジーカンパニー大企業に売却をしていました。
国家の通貨の信頼性のなさに、うんざりしていて、ビットコインとの出会いは彼にとって革命でした。保有するだけでなく、このビットコインを世界に広めたい、存続させたいという強い思いを持ち、シリコンバレーでの普及活動に努めます。
ここで超著名人、有名投資家にビットコインを伝達していきました。
ビットコインが怪しいものを打破するための重要なブレークスルーの瞬間です。
あのマウントゴックス事件で下がるビットコインの存在価値
ジェド・マケーレーブ(後に、リップルやステラなど開発する)が暗号資産(仮想通貨)取引所であるマウントゴックスを設立します。
マウントゴックスはそのあと、マルク・カルプレスに譲渡された後に有名なマウントゴックス事件を起こしてしまいます。
チャーリー・シュレムもbitinstantという取引所を開設して巨額の富を得ました。
しかし、その取引所が闇サイトへの資金供給をしていることになるとみなされて、逮捕されてしまいます。
このように犯罪に利用されたり、盗難されたりと一旦信用を失ったビットコインでした。しかし、また徐々にその信頼を取り戻しはじめて価値を高めていきます。
ビットコインが市民権を得始める
象徴的なのは2013年。「マーク・ザッカーバーグのFacebookのアイデアは自分たちが考えたアイデアだ!」「彼が盗用した」と主張する超エリートの双子ウィンクルボス兄弟。
Facebookに対する訴訟で手に入れた金額で大量のビットコインを購入しています。
最後に、パトリック・マークを紹介しますが、彼が一番のキーマンだったといってもいいかもしれません。弁護士だった彼が財団を設立して、政府や当局と真摯に話合いをしてきたことで潰されずにここまで生き残ったとも言えるでしょう。
ここからはビットコインの歴史を作り上げてきた登場人物を紹介していきます。
ハル・フィニー
出典:Wikipedia- Hal Finney (computer scientist)
プログラマー。初期のビットコイン伝道者
暗号化研究の専門家だったプログラマーのハル・フィニーは、メーリングリストに送られてきたサトシ・ナカモトからのビットコインの解説に興味を持ち、初期のビットコインユーザーとなりました。
そして2009年1月、最初にビットコインの送金を受け取った人物としても知られています。送り主はサトシ・ナカモトで、10BTCでした。(マイニングでもともと50BTCは保有していたと言われています)ALS(筋萎縮性側索硬化症)を患い、2014年8月に58歳で亡くなりました。
マルッティ・マルミ
出典:https://twitter.com/marttimalmi
ビットコインの初期開発者 兼 フォーラム開設者
「何かできることがあったら、ビットコインのお手伝いがしたいのです」
2009年5月初旬、サトシ・ナカモトは一通のメールを受け取りました。送り主は、ヘルシンキ工科大学2年生のマルッティ・マルミでした。
自由至上主義(リバタリアニズム)の思想を持っていた彼は、プログラミングこそあまり得意ではありませんでしたが、ビットコインの価値をよく理解していたため、サトシからビットコインのウェブサイトの全権を委ねられました。
そして同年秋、ビットコイン・フォーラムを開設し、その後の発展に貢献しました。
また、マルッティはフォーラムの常連のひとりと、貨幣(ドル)とビットコインの最初の取引を行いました。マイニングにかかった電気料金から計算すると、1ドルあたり約1000BTCだったといわれています。
ギャビー・アンドレセン
出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Gavin_Andresen
2010年ころに、元々3DグラフィックやVRのソフトの開発者であったギャビン・アンドレセンがサトシとマルッティが行っていたビットコインのコード変更に加わり、ビットコイン・プロジェクトに大きく貢献し始めました。
現在では、Bitcoinコアとして知られるBitcoinネットワーク用のソフトウェア開発をリードしました。2012年にはビットコインの普及を目的に、チャー・リーらとともにビットコイン財団を創設します。
Satoshi Nakamotoがクレイグライトだと述べたり、その発言を撤回したりと少しお騒がせものです。
ロジャー・バー
出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Roger_Ver
「ビットコイン界の神」と呼ばれる経営者 兼 エンジェル投資家
若くして事業で成功したロジャー・バーは、2011年にビットコインと出会い、すぐに蓄えていた大量の資産をビットコイン市場に流しました。そのため、1BTCの価値は1.89ドルから3.30ドルへと急上昇しました。
また、ビットコイン関連の機関やプロジェクトに出資することで、ビットコインの普及に貢献してきました。
現在は「取引にかかる時間が短くてコストが低く信頼できるバージョンとそうでないバージョンのビットコインがあればどちらが使いやすいかは誰でもわかる」。ビットコインから分岐して誕生したビットコインキャッシュの普及を推進しています。
ウェンセス・カサレス
シリコンバレーへビットコインを広めた伝道師
アルゼンチン、パタゴニア出身、1974年生まれの43歳。シリコンバレー注目のビットコインウォレットのスタートアップXapoを経営しています。
1994年にアルゼンチンで大学中退前に最初のISPを立ち上げ売却、その後Patagonという南アメリカで初のオンラインバンキングサービスを設立し、スペイン系のサンタンデール銀行に売却しています。
その後も数社立ち上げをして大企業や、銀行などに売却をしています。現在はPaypalのボードメンバーも兼任しています。
レモンウォレットを経営していた2011年末にビットコインと出会いました。通貨のハイパーインフレで苦しんだ、アルゼンチンの幼少時代の経験からその魅力に取りつかれます。
すでにシリコンバレーでかなりの影響力があった彼が、PayPalのデービッドマーカス、アンドリーセンホロウィッツの、マーク・アンドリーセンをはじめとするシリコンバレーの重要人物にビットコインを広めていったと言われています。
同時にレモンウォレットを売却して、ビットコインウォレットを提供するXapoを設立。Linkedin創業者のリード・ホフマンからの出資も受け入れるなど、その影響力を大きく広げています。ビットコインをシリコンバレーに広めた最重要人物とも言える起業家です。
ジェド・マケーレブ
出典:https://www.stellar.org/about/jed-mccaleb/
マウントゴックス、リップル、ステラコインを創始した
アメリカ人天才プログラマー。edonkeyというP2Pのファイル交換サービスですでに有名だったジェド。2007年にマジック・ザ・ギャザリングというカードゲームのオンライン取引所「マウントゴックス・ドットコム(mtgox.com)」を設立しました(Magic: The Gathering Online Exchangeの頭文字から「mtgox」)。
その後、ビットコインの取引サイトを立ち上げる際に、眠ったままになっていたドメイン「mtgox.com」を再利用することにしました(これがマウントゴックスという取引所の由来です)。初期のビットコイン取引所ということもあり、瞬く間に巨大なマーケットプレイスへと成長しました。
2011年にマウントゴックスをマルク・カルプレスに売却。その後リップルを設立。2013年にはリップルを離れ、翌年の2014年にStellarを創立します。マケーレブの保有するリップルの所有額は200億ドル(約2兆円)と言われており、フォーブスの富裕層ランキングのトップ40に名を連ねています。
マルク・カルプレス
出典:https://twitter.com/magicaltux
マウントゴックスのビットコイン消失事件で一躍時の人に
1985年の現在32歳。マルク・カルプレスはフランスのディジョン生まれ、数年間プログラマーとしてのキャリアを経て、アニメ好きが高じて2009年より日本に移住。
杉並区の自宅で経営はじめました。2011年にジェド・マケーレブからマウントゴックスを買収して本格的にビットコイン事業に参入しました。
当時の1BTCの価格は1-2ドル程度でした。2013年にはビットコイン取引の7割を取り扱う巨大取引所となりましたが、翌年2月にビットコインが消失し、破産しました。(通称、マウントゴックス事件)
ただ、コールドウォレットに20万BTC(当時の200億円分)残っていたことがわかり、現在のレートで2000億円程度の資産がまだ企業を保有していることがわかりました。
ロス・ウルブリヒト
出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Ross_Ulbricht
麻薬売買サイト「シルクロード」創設者
ビットコインの知名度が低かった初期の段階において、主要なユースケースのひとつだったのが、麻薬売買の闇サイト「シルクロード」です。これはロス・ウルブリヒトが作ったもので、ビットコインを使ってドラッグをネット販売するサイトでした。
人気になるに従い、ロスの手数料収入は1万ドルを超える日もあったといいます。しかし、3年近く捜査から逃れ続けていたロスもついに2013年9月に逮捕され、麻薬の違法販売、コンピュータへの不法侵入、マネーロンダリング絡みの謀略、そしてサイトを守るための殺人教唆などの容疑で終身刑となりました。
彼が犯罪を犯したのは事実ですが、一方で「シルクロード」の存在がビットコインのユーザーを増やしていたこともまた事実です。
ウィンクルボス兄弟
映画「ソーシャルネットワーク」でも登場した屈強な双子
テイラー・ウィンクルボスとキャメロン・ウィンクルボス兄弟、36歳です。ボート競技で北京オリンピックにも出場したほどの実力者です。
Facebookのアイデアは自分たちのものであると主張し、ザッカーバーグからFacebookを奪い取ろうとする一連の描写が非常に皮肉に描かれており、映画のなかでも重要な役割を担いました。
最終的には6500万ドル(2000万ドルの現金と4500万ドルのfacebook株)もの支払いをうけることになりました。ウィンクルボス兄弟は、この示談金を元手に2012年に投資会社を立ち上げ、さまざまなスタートアップや新規ビジネスに投資をしています。
2013年に、当時1100万ドル相当をビットコインへ投資し、100倍程度またはそれ以上に資産は膨らんでいると見られ、少なくとも9〜11億ドル(900~1100億円程度)は保有していると見られています。
マーク・ザッカーバーグの総資産は700億ドルとも言われており、ウィンクルボス兄弟はまだ道半ばかもしれませんが、今後のビットコインの盛り上がり次第では、因縁の旧友を越えることがあるかもしれません。
チャーリー・シュレム
出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Charlie_Shrem
不名誉な有名人、bitinstantの創業者
1989年アメリカ、NY生まれの28歳。ビットコイン取引所のbitinstantの創業者です。bitinstantはロジャー・バーやウィンクルボス兄弟から資金調達をするなどして、急成長中の企業でした。
チャーリー・シュレムは初期のビットコイン財団の一員で、ビットコインをいかに守り、広めていくかという立場で活動をしていました。しかし、2014年にビットコイン取引で急拡大した闇サイト「シルクロード」事件に関与し、シルクロードの利用者のマネーロンダリングに供与したことなどの容疑で2年間の服役刑を受けています。
2017年に出所し、服役中に考えていた起業アイデアなどを基に新たなビジネスに取り組んでいます。当時、1ドルにも満たなかったビットコインを大量に保有していると見られ、現在ではかなりの資産を保有うしていると予想されています。
現在のビットコインに対して悲観的な言動なども見られ、twitter等での発言は今も相場を動かすほどの影響力を持っています。
パトリック・マーク
出典:https://www.cooley.com/people/patrick-murck
ビットコインの初期を支えた法律家
ビットコイン財団の共同創設者で、暗号資産(仮想通貨)に関連する法律の専門家です。
ビットコインはサトシ・ナカモトの論文を発端に多くの支持者がそれぞれの形で関わり、築き上げられました。初期のビットコインユーザーには、ハッカーや闇サイト利用者など、アウトローな人たちも多かったなかで、パトリック・マークはビットコインの将来性に魅了された、非常にまともで、健全な弁護士でした。
彼がビットコイン財団を立ち上げ、政府や関係各所との調整やビットコインの説明に奔走をしたことで現在のビットコインを含めた暗号資産(仮想通貨)の市民権が得られていると言えるかもしれません。
※ここで紹介した人物は、本当に一部の人たちです。まだ紹介できていない重要人物を今後も追加していきます。
ビットコインの歴史は1日してならず
ビットコインはこのように様々な人物と偶然が重なってここまでの規模になりました。
まだまだ、他の金融資産とは比べ物にならないくらい若いですが、それでも10年以上の歳月をその存在価値を証明してきました。
ビットコインは今後どのように生き残り、発展していくのか注目していきたいと思います。
仮想通貨の仕組み